通常ビジネススクールの学生は2学期連続で学校へ行ってからインターン、その後更に2学期を経て卒業。仕事をパートタイムでしながらという方も少数いましたが、それはかなり大変な感じでした。Junの場合は3学期間終えた段階でインターン、そして残りの1学期を経て卒業です。
最後の学期
就職内定先が為替のトレーディングという事もあり、今更ながらインターナショナルファイナンスと言うクラスを取る事にしました。二学期に同様のクラスを取っていたので、これは更なる上級という様な位置付けでした。
通貨の違う外国に子会社を作り運営すると言う事は、当然為替のリスクが様々な形で関与します。その影響、どのように管理する選択があるかなどのシミュレーションを通して、国際経営の困難さ、あるいは単純に運の良しあしで大きく経常利益が変わってしまいかねない現実なども勉強しました。
そこで忘れられない内容が為替市場の公平さ、予想不可能な現実、そしてテクニカルアナリシスが無意味だと主張するアカデミックな話でした。トレーディングといえば多くの人が株の事を思う場合が多い印象ですが、出来高としては株と債券を足しても為替にはかなわないほど巨額の取引が行われています。
“Efficient Market Hypothesis” (EMH)を日本語ではどう表現するか調べてみたら「効率的市場仮説」とありました。経済やファイナンス系は英語で習ったお陰で、いざ日本語表現しようとするとわざわざ調べないといけません。因みに医学的な用語や症状は、逆に日本語では表現できても、いざ医者にかかった時はどう説明していいか、ちんぷんかんな事が未だによくあります。
話が逸れましたが、そのEMHは学問上の論議として実に納得の行くものでした。市場には過去の値段の動き、及びファンダメンタルも含め、全ての情報が流れ即値段に反映されてきた筈。また例えば新しいテクニカルの指標ができたとして、それが実に有効だとします。するとあっという間に皆がそれを使うようになり市場はその指標を踏まえた値段に即移動してしまい、先取りして儲けるという機会が減ります。
ましてや為替のような巨大な市場では市場参入者の多さ、取引額とその数の多さから常に最新の公平な値段が更新されているもの。そのような状況の中で常に市場の先を行くトレードをする事は不可能だと。そしてEMHの話題は常に「よってテクニカルアナリシスは意味がない」と結論付けられました。
しかしつい先日まで、銀行の為にテクニカルアナリシスをしながら儲けたトレーダーの下でインターンをしていた事もあり、それは複雑な気分になりました。本当はどっちなんやねん、と。その結論は、結局就職後為替部で実際のトレーディングに関わるようになってやっと出たわけですが、在学中ははっきり意見が纏まりませんでした。
かつてテクニカルの神様扱いされていたマイケルクラウスのアナリシス。今見ると随分と単純です


このインターナショナルファイナンス以外のクラスは特別これといった事もなく難なくこなしてあっという間に終わりました。振り返れば一学期目の成績が一番悪く徐々に上昇、最後の学期は全部A判定でした(実際は違うコードが使われてましたが同意義)。
ありんこ
さてここで2年間に渡るMBAカリキュラムで、色んな事を勉強しましたが、強烈に記憶に残った様々な教授の名言集、またその他書き残した学校でのこと等を綴っていきたいと思います。
先ずはファイナンスの授業です。教授が実に細かい利子の計算、しかもそれに税金がかかった時はどういう事になるかという事を説明していました。あっという間に黒板が数式で埋め尽くされました。そこで多分教授は気が付いたのでしょう。聞いている生徒の中にはちんぷんかんぷんだ、という顔つきの人もいればこんな細かい事くだらない、と言わんばかりに目を回している生徒など。
すると教授が言い始めました。このような実に細かい計算は全然意味がないのでは、と思っている人もいるであろう。しかしです、債権の市場は実に巨大で、そのような市場ではたった一日に発生する利子はあなた達が卒業後に一年間かけて稼ぐ給料より遥かに多い筈だ。だからしっかりと心して聞いてください、と。
ちょっと計算してみたら直ぐ分かる事ですが、実際その通りです。教授は一瞬にしてなんとなくつまらなそうにしていた生徒達の目を覚まさせました。
またウォール街で毎日動く巨大な資金の流れからしたら、我々が一所懸命働いてやっと稼ぐ給料など誤差レベルだという現実、我々は所詮そびえたつ蟻塚に出入りするありんこだという現実も再び認識する事となりました。空の狭いウォール街で働くというのは正にそれだったのです。
その狭い空そのもののウォール街界隈(Jun撮影)

女性マネージャー
マネジメントのクラスでの事でした。その教授のクラスではケーススタディを用いて、組織においてどういう行動パターンがあるかなど様々な話題をカバーしていました。またそういった話題を女性の教授がやっていたというところも、特に当時の日本では全く考えられないところでした。
授業は常にハイペースでてきぱきと、しかし大変親切な生徒思いの教授でもありました。そんなこともありとにかくそのクラスは常に楽しみにしており、また大変勉強になっていました。
さてそのクラスに出席したある日の事でした。授業が始まった直後に、クラスのどこかでぼそぼそと何か話している生徒がいました。それ自身はこのクラスも含め別にいつでもどこでも授業中にありうる事なのですが、教授がいきなりものすごい勢いで「うるさい、静かにしなさい」みたいに注意をしました。言われた生徒は勿論あーどうもすいません、みたいな感じで即静かになりました。
そして次に教授は発言していた生徒に対して何と馬鹿げた事を言っているのか、もう少しまともな事言えないのか、というような小ばかにした事を言っていました。言われた生徒はそれこそ顔を赤らめるかのようにこれまたどうもすいません、という反応。
そして教授はまたもや誰か生徒に向かって今あなた何をしているの?とそれこそ脅すような口調で質問。これまた言われた生徒は何も言えない状況でした。
その頃には既にクラスの生徒全員が明らかに思っていました。今日の教授は絶対おかしい。何かあったのか単に発狂でもしたのか、と。生徒同士できょろきょろお互い目を見合わせる光景が広がりました。しかし誰も何も余計な事は一切声には出せませんでした。何故なら余計な小言を言おうものなら、またもの凄い注意の声が刺さるのが間違いなかったからです。
あっという間に誰も発言する勇気がなくなってしまった時、その何故かクソ厳しい教授が急に声を和らげて、「皆さんどうしたのですか?私のクラスはとてもフレンドリーかつアットホームでみんなの気持ちを大事にする環境を常に作ってきた筈。なのにあなたたちときたら口を閉ざして全然私に、いやここにいるファミリーの皆さんに協力してくれない。どうしたのかしら。」というようなことを言い出す始末。これまた生徒達の間では何も言えずお互いきょろきょろ表情をうかがうしかできない状況。
今までの彼女の授業からしたらありえない実に苦痛としか言いようがない10分ぐらいだったでしょうか。私も今日の授業はもう早く終わって欲しい、とまで思い始めていました。
そして次にはとんでもないどんでん返しが待っていました。どのように教授が切り出したか今となってははっきり覚えてないですが大体このような事を説明し始めました。
「皆さん今日は大変失礼しました。気づいたでしょうが今日の私のやり方はすべて演技でした。ご安心ください。」とまだこの種明かしを始めたときは正直半信半疑でした。で教授は続けました。「私が今日教えたかったテーマの一つは正確に測れる数値などでのパフォーマンス評価の逆を行く環境の問題です。暖かいアットホームな職場、というはっきりしないかつ実は必要のない要素を売り物にし過ぎるとこの様なマネージャーになりがちだ。」という事だったのです。
そして教授は更に解説しました。アットホームな職場などという下手すると成果優先でない環境では、瞬時に代わりうる人間の感情が入り易く、そもそも何が成功の要素かが明確化されていなく、お陰でマネージャーが感情のままモラルを破壊する事も多々ある。優先すべき事柄があいまいになると、そのようなマネージャの悪行が結局蔓延り易い。そしてこれは今では大問題発言となり得ますが、その教授曰く今時の女性マネージャーは、アットホーム職場をよく口にするがその教授が演技でやったように誰も発言できなくなってしまう環境をよく結果的に作っているとまで言っていました。
当時のアメリカ、またウォール街では女性のマネージャーというのはまだ少ない方でしたが、珍しくもありませんでした。ただその教授曰くのアットホーム職場を売りにする女性マネジャーというのが結構いたのも事実、そしてその教授は自身が女性でもあり許せなかったのでしょうか。
その教授の伝えたかったテーマは「女性のマネージャーはだから駄目だ」ということではなかったと考えてます。ただ職場というビジネス優先の場で「家庭的」というそれは家で楽しめばいい事なのに、そこを混同する事による弊害という頃をまず教えていただきました。
そしてこれは卒業後ですが、実際このJunは女性マネジャーの基で仕事をした事が何度もあるのですが、残念ながらJunの女性上司は、全員100%その教授が演技した環境そのものでした。
まず部下全員何も言えなくなってしまう。突然発狂、しかしその次にコーヒーなりなんなりいきなり奢ってくれたりする。もう我々部下はおとなしく何も言わず事なかれという方針に皆なっていったのです。そしてチームとしては全体に明らかに生産性がベストではなかったと。
この様な事を書くと、Junはアンチ女性マネジャーと思われかねないので一応はっきり言っておきますが、勿論そんな事はありません。友人に何人も、実に評判のいい女性マネジャーがいます。
またこれは別の機会に書こうと思っていますが、エグゼクティブクラスでアットホームとかそういうとろい事は一切ない大変優秀なビジネス一本、という方も会社で見かけました。
男女の違いというのは恒久のテーマかもしれませんが、何はともあれあの授業は忘れられないものでした。そして現実のウォール街で「あ、正にこれあの授業そのまんま」と何度も思うこととなったのでした。
You are fired
トランプがアメリカ中ではやらせた文句が”You are fired”(あんた首)ですが、それについても一つ話があります。これは直接取ったクラスではなく、ある名物教授のクラスでの出来事です。
その名物教授は、もう潰れてもいいような会社をいかに改善させるかという、ケーススタディを連日行う事で有名でした。我々は「あのターンアラウンドのクラス」と言ってました。あまりに膨大な資料を読んでケーススタディの準備する必要がある為、そのクラスをとるのは勇気がいるとまで言われていました。因みにJunはそういう自殺行為はしませんでした。
でとある武勇伝によると、この様な事があったそうです。ケースの会社はありがちな相変わらずのこれまたとんでもない成績の悪いとこ、余剰人員も沢山いる。それで最初にプリゼンを任されたグループがその会社をどのようにターンアラウンド、成績向上に向かわせるかを、クラスの皆に向かって説明し始めました。先ずはリストラです。多くの従業員を解雇する事から始めるとある生徒が発表しました。
するとその名物教授、確か結構図体が大きく、変な話ですが顔、頭蓋骨も大きい方で、要するに威厳のある風貌の方でした。少なくともそういう凄い印象を与える方。でその教授は従業員リストラというプリゼンを聞いた瞬間に「なに~~~今お前なんと言った~~~?従業員を解雇だと???貴様なんという血も涙もない最低な人間だ!そんなマネージャー失格なやつは俺様のクラスをとる資格はない。今すぐ出て行け!」ともの凄い剣幕で怒鳴り散らしたそうです。あっけにとられた生徒はクラスの生徒全員が注目する中ノートなどをまとめてカバンに放り込み、まさに恐る恐る教室から出ていきました。エリートビジネススクールに来るような生徒は全員ではないにしろ、それこそ幼きころからエリート裕福環境に慣れた人が多く、いきなりこのように恐ろしい風貌の巨漢に怒鳴られたのはひょっとしたら人生初だったかもしれません。
クラス全員の注目を集め怒鳴り散らされた哀れな生徒が、とぼとぼ教室の外に出たら即教授は目の前にいる生徒にその今追い出した生徒を外から呼び戻すように頼みました。それこそ泣きっ面だったであろう追い出された生徒がのこのこ教室に戻ってきました。そこで即教授が聞きました。「今さっきあなたは私に怒鳴られて教室をいきなり追い出されましたがどういう気になりましたか?」と実に冷静な口調。聞かれた生徒は「もの凄く小ばかにされかつ侮辱された思いだった」と返答。そして教授は続けました。「あなたはさっき会社を立ち直す為に先ずは従業員を解雇するとプリゼンした。会社をいきなり首になるというのは、今まさにあなたが経験したのと同じ思いをするものだという事を心しなさい」と説明したそうです。
なんという素晴らしい教授でしょうか。ボタンを遠くから押してミサイル発射して何万人を虐殺するかの如く、会社のリストラをする連中は残念ながらいくらでもいます。そしてそれは会社存亡の上では必要な事でもあるでしょう。ただその教授はさらりとリストラ、といえどその従業員解雇一人一人にもの凄いドラマがある、という事を教えたかったのでしょう。リストラされた人の多くは家庭があり、あっという間に経済困難となり買おうと思っていた家が買えなくなる、行こうと思っていた大学を子供が断念する羽目になる、やろうと思っていた手術を止める、など様々な人生を変えるほどの影響がありえます。そのような重い影響を十分踏まえた上で、というレッスンでした。
現実の職場でやはりこれはもの凄く感じる事です。血も涙もない思いきり自分勝手なマネージャーが、ハイあんた首、と平気でやる人も当然います。しかしその名物教授は、明日のリーダーとなるビジネススクール卒業生には、戦場の指揮官のごとく、究極的には必ず戦死者が出るが、そこはいかに死者が少なくなるかという戦略をとるしかない、という状況に必ず遭遇する。しかし究極の目的は、今日明日の戦死者の数ではなく戦争に勝つこと。そしてその時にいうなれば人としてまともな神経で辛い決断をそれこそ涙ながらするべきだというメッセージを送られたのでしょう。
この教授の逸話は実際にクラスをとることは無く、ものすごく心に残る話でした。因みにJunのウォール街でのキャリアにおいて幸い上から「おいJun、お前の部下一割カット誰でもいいからやってくれ」というような指示を受けた事はありませんでした。逆にリストラの犠牲になった事はあります。そして慈悲深い上司の基そういう羽目になった場合もあればとんでもない酷い思いをしたこともありました。まあそんなもんでしょう。
結局何を習ったのか?
ビジネススクールでは講義形式のクラスもありますが、やはり一番肝心なのは会社経営改革のプリゼン、マーケティング戦略のこれまたプリゼン、等など、とにかくプリゼンでしょう。膨大な資料をかき集めストーリーを作って、それをクラスで口うまく発表。また期末レポート提出の場合はこれまた長々としかし上手いこと話を纏めなければいけません。つまらない内容、と思われてはおしまいです。いかにプリゼンを聞いている人、またレポートを読んでいる人(教授)をうならせるか、という事です。
アメリカでは小学生の頃からプリゼンを作ったり、レポートを書くのが宿題であるのがごく当たり前で日本との教育課程の違いが顕著です。そのような環境で生まれ育ったアメリカ人が更にMBAを通してそのスキルをパワーアップさせるのです。そのような場所にプリゼンスキルを基本教えない日本から来るとそのギャップに驚きます。
しかしそのような環境で鍛えられると、卒業までには格段のスキルアップをしたのは確実です。勿論そういったスキルの才能というのもありますが、そもそもプリゼンしたりレポートを提出して合格点をもらわない事には卒業ができないわけで、しっかりとやり遂げた人は最低限はできる、という事になる筈です。
卒業後5年ほどでしたか、職場で何かの折にとある同僚に言われた事が「Junの書くレポートやプリゼンは実によくできている」みたいな話でした。その方は某一流大学卒業したアメリカ人、当たり前ですがネイティブ英語の方です。随分仕事もできる優秀な人が、外国人であるJunのレポートなどのスタイルにその評価。気になったので色々聞いてみたのですが、ふと思ったのです。これって正に大学院時代に散々こなしてきたプリゼンやレポートを通して、それをまともに作り上げるスキルがしっかり身についていたのだと。
現在価値の計算やらオプションの値段の計算とか、そういったテクニカルな事を習うかたわら、常にどのように話をまとめてプリゼンするか、また何十ページにも及ぶレポートを書くとか、随分と鍛えられていたのです。ひょっとしてこれこそがMBAプログラムを通して最も習ったことだ、と。また日本人としては特にそういった点を学校で習った事が基本無く、アメリカの大学院でいきなり叩き込まれたという事だったのです。
価値はあるのか?
こういったプリゼンスキル辺りを鍛えまくる伝統は、今時のビジネススクールでも相変わらず存在の様です。そういった意味では単純にためになるわけです。ただし今時はビジネススクールに行く価値があるかどうかという点では、大変な問題のある状況となっています。それはあまりに高額になった学費です。
2025年2月時点でハーバード大のMBAが年間授業料$76410、これは一ドル150円としたら1160万円です。NYCにあるコロンビアの場合は$84080、1276万円、ニューヨーク大学は$82326、1250万円となっています。更に家賃ですが一月10万円、$650ぐらいとかあり得ません。その3倍かもっと見ておいた方がいいくらいでしょう。更に食費その他です。生活費は300万円でも足りないでしょう。そうなると一年で軽く1500万円、卒業までに3000万円となります。
調べてみたら三菱物産の初任給が大卒で32万円だそうで手取りは27万円かそれ以下とのこと。給料は年々上がったとしても3000万円貯め込むのはかなりキツイ。親からもらうか稀にみるベンチャーをやったお陰で儲けていたとか、いずれにせよ今時の日本の経済事情、給与体系からしたら、日本で稼いで貯金してからMBAアメリカ留学は実に大変な金額です。
もう一つの問題が卒業後の就職先です。アメリカ人がやっているように高い授業料を払ったのちにアメリカにて高給取りになればまぁそれも一つの手でしょう。しかし日本人が3000万円使ってMBA習得、そして日本に帰ってそれに見合う高給をとる機会がどれほどあるでしょうか?ないとは当然言えませんが単純に言って、余程覚悟のいる事だというのは間違いないでしょう。
因みにJunがMBAを習得した時、年間授業料対するMBA後の初任給(年棒)の比率が1:3、つまり年間授業料の3倍の年棒が平均的に期待できたわけです。しかし近年はその比率が1:2、つまり授業料の倍です。それはそれでいいのかもしれませんが、しかし給料の上昇率と比べ学費の上昇率の方がかなり高く、以前ほどの価値がないというのは明らかです。そしてこの比率はアメリカでの給与での計算です。バブル後の日本は賃金上昇が停滞、そういった意味でも更に高額の学費をアメリカで払って、しかしその後日本で働く、はとんでもないハイリスクと化したと言えるでしょう。
30年ちょっと前の母校MBA卒業生の年棒データ。中央値が6万ドル(900万円)切ってるぐらい

厳しい社会
ビジネススクールで勉強を始めるちょっと前に偶然見かけた面白い記事がありました。巷ではインサイダー取引などをした悪い奴らが牢獄に送り込まれるなどのスキャンダルで業界は沸いていましたが、それもあって確かに一部MBA批判というのがありました。でその見かけた記事はこのような事を書いていました。
「会社を創めるにはものを作るエンジニア、その特許など知的財産を保護する為の弁護士、そして会社経営を任せられるMBAとこういう連中が必要だ。しかしながらその会社が潰れた場合、弁護士は知的財産をもって去り、MBAの人は会社の金をすべてくすねてとんずら。そして残るエンジニアは仕事探しに勤しむ。」
批判と現実をうまくひっくるめたジョークです。一応理系で大学は卒業した身で少し複雑な気はしましたが、これがアメリカの現実なのか、と思い知らされもしました。
Junの場合は幸い卒業後、延々とウォール街で生き延び結果的にはMBAをとってそれなりのキャリアへ繋がったと思います。コスト、ベネフィットという点でも全然よかったと断言できます。しかし今は本当に難しい状況です。若い方々から色々と相談を受ける事が増えたこの頃、そういった現実は教えるようにしています。逆に自分自身がビジネススクールに何でもいいから行こう、と決断した時はあまりそういう、例えば授業料対する年棒の比率とかは全く考えていませんでした。周りにそういった相談やアドバイスをしてくれる人もいなく、それもあって突撃できた道でもありました。今は歳のせいかどうしても保守的に、あまりリスクをとらないような考えになってしまいますが・・・
しかしながら、例えばこういったJunの話なりを読んだ上でも、やはりMBAをとりたい、と思う方には惜しみなくJunなりのアドバイスはする様に心掛けております。
Jun